MASAYUKI SHIMADA

島田 正行


注文建築 
2015年1月入社
MASAYUKI SHIMADA
島田 正行
注文建築  2015年1月入社

料理人になる

実家は居酒屋。両親が働く後ろ姿を見て育った私は、物心ついたころから自分は料理人になるのだと思っていました。高校のとき、アルバイト先の常連客にホテルの料理長をしている方がいて、そのツテで高校卒業後はその料理長のもとで修行させてもらうことになりました。料理長にはお子様がいらっしゃらなかったこともあり、すごく私のことを気にかけ、愛情を持って接してくれて。私も期待に応えようと必死に修行に励みました。そして25歳になって、幼いころから考えていた実家の居酒屋を継ぐことを真剣に視野に入れ始め、さらに腕を磨くため掛け持ちでホテルとは違うジャンルの勉強を始めることにしたのです。料理長も私の夢を応援してくれていました。ホテルの仕事が終わったあと、フランス料理店で夜中の3時まで料理を教えてもらったり、接客業を学ぶため大手チェーン店で朝5時までアルバイトをしたり。若かったとはいえ、よく体が持ったなと思います(笑)。

夢が消えたその先に

しばらくして、ホテルの経営状況が悪化し辞めることになったのですが、料理人としてある程度の力をつけていた私は、その後もいくつかの飲食店を経験させてもらうことができました。しかし順調かのように見えた人生にも陰りが。世間は、アベノミクス効果による景気回復の真っただ中。就業率も上昇していく中、同時に襲ってきた問題は「人手不足」。当時、ニュースでも毎日のように取り上げられていました。人手不足からくる飲食業界の過酷な労働環境。私の職場も同じでした。かつて寝る間も惜しんで必死に働いていたこともありましたが、これは違う。先行き不透明なこの業界に失望し、実家の居酒屋を継ぐ夢も儚く消えていきました。気づけば、もう35歳。今さら料理以外の道を進めるのか?不安は残りつつ、私は転職活動を始めたのです。 就職情報誌から何社かピックアップし、ウェブの募集フォームに必要事項を入力。送信ボタンを押した瞬間でした。すぐに電話が鳴ったのです。本多社長からでした。これは驚きましたね。翌日、面接をすることになり、そこで本多社長の話を聞いて理解しました。「問い合わせをする人はずっとそのことを考えているわけではない。相手にとっても、そして自社にとっても1分1秒も無駄にはできない」と。あ、この人は言っていることと行動が一致している。信用できる。そう思い、うららに入社を決めました。

私にとって、うららは「家族」

当時のうららは、本当に何もなかった。お金も人も知名度も。本多社長自ら営業で走り回っていました。私は不動産の仕事は未経験でしたが、悠長に教えてもらう暇なんてありませんでした。でも、ここで過去の経験が活きました。料理人は先輩から教えてもらうことはほぼありません。先輩の後ろ姿を見て自ら学んでいくのです。失敗して怒られて初めて、これはダメなんだと気づく。そんな世界で生きてきた私にはもってこいの環境でした。ただ以前と大きく違ったのはそこに「自分が会社をつくっている」という実感値を持ちながら生きていたこと。そして頑張った分、正当な評価と報酬があったこと。私はどんどん、うららにはまっていきました。 あれから5年。毎日途切れることなく、自分の成長と会社の成長をリアルに感じ続けています。仲間も随分増えました。私は、この仲間を「家族」だと思っています。苦しいこともうれしいことも、一緒に分かち合える家族だと。私がかつて両親の姿を見て夢を持ったように、かつて料理長から愛情を注いでもらって腕を磨いたように、次は私自身が誰かに夢や愛情を与えられるよう人間力を高めていきたい。そして家族みんなが幸せになれる会社をつくりたいと思います。

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