飛騨の匠と飛騨の家具

岐阜県の白川郷からの流れで飛騨匠の家具を見学に柏木工さんの 高山ショールームへ見学に行きました。

柏木工さんのホームページ⇒https://www.kashiwa.gr.jp/index.html

飛騨の匠とは↓(飛騨産業さんのホームページより引用)

飛騨の匠の歴史と文化

飛騨の家具の歴史を語るとき、
その血を受け継いでいる私たちの祖先である「飛騨の匠」を抜きには始まりません。

墨壺

墨壺

これは「飛騨の匠」の真摯な仕事ぶりと、その並はずれた技を讃えて歌人が詠んだ万葉の一句ですが、
日本書紀・今昔物語など遠い昔から歴史の舞台にしばしば「飛騨の匠」が登場しています。

飛騨の匠とは

「飛騨の匠」は一人の優れた大工の名前ではありません。古来より顕在していた飛騨の建築技術を都づくりに活用するため、時の中央政府が税を免じてまで貢進を義務づけ、その律令制度によって木工職人として派遣しましたが、それらの人々を総称して「飛騨の匠」と呼ばれています。「飛騨の匠」たちは一年交代でもあり、ほとんどが歴史上名を残していないが、中には石山寺造営の関係文書にみられる勾猪麻呂(まがりのいのまろ)のような名工の例もありました。「飛騨の匠」というのは優れた木工の美称でもあり、万葉集や源氏物語には追憶の匠として度々登場しています。

匠街道と呼ばれた東山道飛騨支路

匠街道と呼ばれた
東山道飛騨支路

飛騨の匠の起源

「飛騨の匠」の記述が現存する史料に初めて現れるのは、今からおよそ1300年前のことです。養老2年(718)に制定された養老令(賦役令)に斐陀国条が定められ、斐陀からは1里(50戸)につき10人が1年交代で都へ出役することが義務づけられましたが、その前の大宝律令(701)でも同様であったと考えられています。飛騨国は優れた木工集団「飛騨の匠」を派遣する見返りとして、租・庸・調のうち、庸・調という税が免ぜられたのです。これが律令政治による、飛騨から都へ人材を派遣するという「飛騨の匠」制度の始まりです。
当時の飛騨は10里程度と推察され、徴用された人数は100人を基準とし、工事の状況で増減され多い時には200人あまりが都に上りました。以後平安末期までの500年間に亘って、延べ人数は4万とも5万とも言われています。仕事は年に330日以上350日以下と定められ、この日数に達しなければ飛騨に帰る事が許されませんでした。厳しい労役に耐え、真摯で並はずれた腕を誇った彼らの技は絶賛され、いつしか「飛騨の匠」と賞賛されるようになり、薬師寺・法隆寺夢殿・東大寺など幾多の神社仏閣の建立に関わり、平城京・平安京の造営に活躍して日本建築史の黄金時代の一翼を担ったのでした。現在も奈良の橿原市に飛騨町がありますが、高山の町並みを思わせる小ぎれいな木造家屋が軒を連ね、また大和路には飛騨と共通する地名が多い事から、飛騨から上京した人たちが現地にとどまり土着化したものとも考えられます。

平城京朱雀門

平城京朱雀門

金森宗和と京の雅

時は下って戦国時代、豊臣秀吉の命を受けて天正14年に飛騨入りした金森長近(ながちか)は、高山城や国分寺などを再興し、高山のまち造りを始めます。千利休の茶会では筆頭頭であるほどの茶人であった長近は、町造りにあたり京都の町並みを模範としました。高山の町並みが碁盤の目のように整然とし、東山と呼ばれる山に各宗派の寺院が建ち並んでいるのは、京都を見習ったからに他なりません。2代目である可重(ありしげ)も2代将軍秀忠の茶道指南役として茶頭を務めておりました。そんな環境で生まれた金森家3代を継ぐはずであった重近(しげちか)は茶道にたいする必然性があったことは間違いありません。茶道具として飛騨の匠である高橋喜左衛門に木地を造らせ、御用塗師の成田三右衛門に透きうるしを塗らせ、春慶塗と命名したのも重近でした。
千利休が秀吉の怒りに触れ自殺し、長男である道安が高山で隠遁生活を送っていた折より深く茶の世界に傾倒した重近は金森家三代を異母弟に譲り出家をし、宗和を名乗ります。母と共に京に滞在した宗和は茶道の道を究め、宗和流をおこします。モダニストとして都で活躍する宗和の影響で高山はより洗練された京の文化を取り入れてゆきます。

金森宗和像

金森宗和像

天領と旦那衆

高山祭屋台(国重要有形民俗文化財

高山祭屋台
(国重要有形民俗文化財)

飛騨の豊富な森林資源に目をつけた徳川幕府は元禄五年(1692)金森家を出羽に移封し天領とします。武士が少なく組単位による自治が進んだ高山では強固な団結の元に祭礼を行い、やがて現在の高山祭りを形づくってゆきます。幕末になると財力を持った旦那衆が競って祭礼の象徴である屋台を改修し、工匠たちに技術を競わせ絢爛豪華な現在の屋台となってゆきます。また、商家や造り酒屋の邸宅は、京の雅な様式と江戸の力強い構成に飛騨の匠の技術を加えて完成した建築物として知られております。

日下部家(国重要文化財)

日下部家(国重要文化財)

飛騨産業の誕生

1920年(大正9年)のある日、高山に二人の旅人がやってきて来ました。大阪で西洋の曲げ木技術を学んだ彼らの話に心を動かされた町の有志たちは株を出資しあって西洋家具メーカーを創業しようと決意したのです。決意の裏にはこの地に流れる「飛騨の匠」の技術とブナ材に代表される豊富な森林資源があったからでした。また新しい事に挑戦しようという飛騨人の気概があった事は間違いありません。

椅子など見た事もなかった職人たちは、木に対する経験と知識に支えられながら試行錯誤を繰り返し、ようやく2年後、やはり飛騨の伝統技である春慶塗の施された椅子を世に送り出したのです。まだ鉄道もなく、こもで包み荷馬車に乗せ出荷していました。当時は曲げ木を初めて家具に応用したトーネットのスタイルを模倣したものから始まり、やがてオリジナルの折りたたみ椅子やサロンチェアを造り出します。

創業当時製作していた南京スツール

創業当時製作していた
南京スツール

昭和初期のカタログ

昭和初期のカタログ

家具の輸出

昭和10年アメリカより来日していた家具バイヤーは飛騨産業の高い技術に着目し、大量の椅子を発注します。西海岸より来ていたそのバイヤーは丈夫で長持ちするコロニアルスタイルの椅子を持ち込みました。今まで作製した事のないカタチに当時の技術陣は奮起し、新しいロクロ切削器を開発し、大量生産体制を整えました。このロクロ機は現在でも使用されていますが、一部の機械がミズノのバット工場に送られイチローや松井のバットを削りだしています。

ロクロ切削機

ロクロ切削機

航空機の試作

第2次大戦の末期、軍部は当社に木製航空機の製作を命じます。社名も高山航空工業と変え、完全な軍需体制に取り込まれてゆきます。以前より木製の補助燃料タンクを製作していた事もあり、ようやく試作を完成させましたが、終戦を迎え本格生産には移行しませんでした。戦後は桶や松葉杖など生活に密着したものも造り復興を支えました。

輸出の再開と国内販売の開始

戦後輸出が再開され、ウインザーチェアを中心に1960年には総生産の87%を輸出し、輸出貢献企業として総理大臣賞をいただいております。日本の高度成長や国際経済の変化に対応して国内販売にも力を注いでいましたが、昭和48年のオイルショック以降全面的に国内販売に転換しました。住環境の変化やディスカバーJAPANなどによる飛騨高山ブームも後押しし、順調に業績は伸び飛騨の家具のリーディングカンパニーとしての地位を築き上げたのです。

世界に向けて飛騨の匠の技術と日本の美を発信

当社では2001年より品質・生産性の向上を計るべく業務改革に取り組み、生産におきましては2003年6月より受注生産体制を整えるなど、より早くお客様のご意見を反映すべく改善を進めてきました。商品におきましても、今まで使われなかった節をデザインに取り込んだ「森のことば」や家具用材としては不向きとされてきた杉を主材とする家具の開発に取り組み、環境に配慮された借り物ではない日本の美しさを表現したモノ造りを行ってきました。杉を主材とするシリーズは、日本の美を世界に向けて発信した、イタリアデザイン界の巨匠「エンツォ・マーリ」氏デザインの「HIDA」をはじめ、2014年には杉圧縮柾目材による「KISARAGI」がグッドデザイン金賞を受賞するなど、日々進化を続けています。気もちのいいくらしを提案する飛騨産業に今後もご注目ください。

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